ご紹介をいただきました森田でございます。
今日はこのようなお話をする機会をいただきまして誠に光栄に存じます。
私は1989年(平成元年)の3月に、当時のEコースを卒業いたしました。当時のEコースは高木英明先生が教授で、白石裕先生が助教授でした。助手は植田健男先生でした。教育学部は、研究室ごとに少人数指導で家庭的な雰囲気があって、高木先生は去年90歳(卒寿)を迎えられまして、卒寿を祝う会を当時の研究室のメンバーで京都で開いたときにも、みんな集まりました。そういう風に関係がずっと繋がっています。白石先生には私は結婚式の仲人をしていただきました。同級生の妻はCコース教育心理学で、指導教官が坂野登先生でした。大変教育学部に感謝をしている次第でございます。
ご紹介いただいた通り、2017年から2019年(平成29年から令和元年)まで2年半ほど、京都大学の総務担当の理事で出向させていただきましたので、その時にもこの会には参加させていただいておりました。また本省に戻りましたが、文化庁が京都に一昨年の3月に移転し、一昨年の8月から私は京都担当の次長として、再び京都に住むことができております。私は文科省の中で京都に行きたいというような希望を出したことは一度もないのですが、京大に出させていただいたり、文化庁に来させていただいたりと、何度も京都に来させていただいて、「あいつは京都に行きたいに違いない」と思われている可能性があります。大変ありがたいと思っております。そんな中で今日またこのような機会をいただきまして誠にありがとうございます。
今日は文化庁の京都移転がどういう経緯で行われたかということと、文化行政が今どのように行われているかということの大きく2つに分けてご紹介させていただきます。
文化庁京都移転の経緯
文化庁の京都移転が決定する前の年、初代の地方創生担当大臣であった石破総理が中央省庁の地方移転を掲げ、どの中央省庁をどこに移転するかについて、自治体から希望を募るということが行われました。京都府と京都市が名乗りを上げ、その対象が文化庁でした。他にも色々と手を上げたところがありましたが、最終的に本格的な移転が実現したのが文化庁でした。
そして、平成28年、第3次安倍改造内閣の時に文化庁の京都移転が決定し、平成29年(2017年)7月に移転規模と移転先が決まりました。文化庁全体の約2/3を京都に、1/3を東京に残すことになりました。移転先は元の京都府警本部庁舎にすることがこの時に決まりました。
その後、平成30年(2018年)に文化庁の組織の再編を行いました。これは移転を見据えて、文化庁の組織の抜本的な改組を行いました。この時に、文化政策の対象拡大を行いました。文化観光、コンテンツ振興、食文化、産業との連携などを中心に文化政策に加えることとなりました。
そして、庁舎(元の京都府警本部庁舎)の改修を行い、一昨年(2023年)3月に岸田内閣のもとで京都に移転してきました。
文化庁の京都移転について、府や市は機運を盛り上げるために色々なことをやっていただきまして、このロゴマークは京都府が文化庁を京都移転する時に作ったロゴマークです。これは京都市庁舎前ですが、平成28年3月に文化庁の京都移転が決まった時には、京都市を挙げて、最前列の真ん中にいる当時の門川市長をはじめ、京都市幹部のみなさん出てきて、非常に歓迎していただきました。そして、一昨年3月に京都に移転してきてすぐの4月第一週には、祝賀の集いが行われました。都倉文化庁長官、この時の永岡文科大臣、岸田総理大臣、伊吹文明元衆議院議長、西脇京都府知事、三日月滋賀県知事(関西広域連合会長)、門川京都市長と、大変盛大な祝賀の宴をしていただき、非常に歓迎されて京都にやってまいりました。
これが京都府庁の敷地の東側にある旧京都府警本部庁舎で、ここに今我々が入っております。その横に新行政棟というのが建てられていて、これの1階から3階も文化庁が使っております。4階から6階は京都府の教育委員会が入っていますが、中は繋がっておらず、入り口は別々です。
文化庁が京都に移転する時、誰がキーパーソンだったかということですが、やはり当時の安倍内閣の初代地方創生担当大臣だった石破総理が、精力的に京都府や京都市と緊密に連携をして、文化庁の京都移転の話を進めていった経緯があります。他にも地方から来て欲しいという希望が上がった役所はありましたが、国会も財務省も官邸もみんな東京にあって、仕事上の関係がたくさんある中で、職員も、子どもが学校に行っていたり、家を東京や埼玉、千葉で買っている人もいるなど、どの省庁も地方移転には消極的でした。
この時の文科大臣が馳浩文科大臣(現石川県知事)で、馳大臣が文化庁の京都移転に賛成され、当時の石破大臣と非常に協力をされました。
それから京都選出の伊吹先生(元文科大臣)も色々と働きかけをされました。政府としても、地方創生を掲げて中央省庁の地方移転を掲げた以上、最終的にどこも本格的には行かなかったとなるわけにはいかないということもあったと思います。本格的に移転が可能で、本格的に移転をする、そういう結果を出せる役所が文化庁だった、という背景があったと思います。
そうした背景につながる伏線を作られた方が、第16代文化庁長官の河合隼雄先生だと私は思います。河合先生は文化庁長官になられた時に、「京都にも拠点を置いてほしい」と要請されました。そこで、文化庁長官室分室を京都国立博物館の中に作り、文化庁の分室が京都にできました。河合長官は関西元気文化圏構想を非常に積極的に推進されました。その時から、河合長官と門川市長(当時市長ではなかったと思いますが、教育委員会におられたと思います)は非常に親しかったという伏線があったと思います。そういう意味では、京大の教育学部も文化庁の京都移転に一役買っていると言えるのではないかと思います。

こちらは東京の庁舎です。これは東京の文部科学省の元の庁舎ですが、今は後ろの新庁舎に多くが移っていて、ここで仕事しているのは文化庁と他一部の部署です。この建物は昭和7年(1932年)に建てられた建物で、登録有形文化財になっております。
京都庁舎は昭和3年の建物ですが、これも、文化庁が京都に移転してきた後の昨年、登録有形文化財に登録されました。私は京都に来ても東京に行っても登録有形文化財の中で仕事をしています。京都の庁舎も東京の庁舎も文化庁らしく文化財に登録されているということです。
この京都庁舎は元々、昭和天皇の即位の礼が京都御所で行われたときに、その警備をするために当時の警察が作った庁舎なので、御所の結構近くにあります。当時はまだ国家警察の時代で、この警察の庁舎は国の庁舎でした。戦後、警察は都道府県警察になりましたので、戦後は京都府警本部の庁舎になりましたが、この度再び国の庁舎に戻ってきたという経緯です。いずれも登録有形文化財になっているのは、大正から昭和初期にかけての当時の洋風モダニズム建築の代表的な建造物であるということです。この京大の時計台もほぼ同時期、ここは大正末期だと思いますが、やはり当時の大正モダニズム洋風建築が全国的に作られた当時の建物です。京都で言えば京都市役所もそうですし、他にも大学で言えば東大の安田講堂も早稲田の大隈講堂もみんな同じ時期に建てられた建築物です。
文化庁が京都に来る時、京都市内のいくつかの箇所が候補地に挙がり、10箇所前後候補地がありました。この中で最終的にはこの京都府警本部庁舎になったわけですが、それ以外に有力だったのが京都駅周辺にあった元の小学校の建物でした。京都に行っても東京への出張は多くならざるを得ないので、京都駅が近い方が便利ではないかということで、このあたりも候補に挙がりました。最終的には、場所として最も良く、良い建物なのはやはり京都府警本部庁舎だという、伊吹先生などの推しもあって決まりました。
これが京都府庁の敷地であり、ここの3号館、4号館を文化庁が使っております。バス停の名前も元々「府庁前」というバス停だったのですが、「文化庁前・府庁前」とバス停の名前を変えていただきました。地下鉄の丸太町駅のアナウンスも「次は丸太町、文化庁・京都府庁前です」と流れます。
このあたりに最近マンションが建設されていて「ザ・レジデンス文化庁前」という名前です。文化庁がお願いしたわけではないのですが、文化庁という言葉はブランド力があるのかなと、光栄に思っております。
もう一つ、少し変な話をしますと、文化庁の正面受付がこのあたりにありますが、住所が「上京区下長者町通り新町西入」という住所になっています。これが「おかしいんじゃないか」と京都新聞に書かれたことがあります。これが下長者町通りで、これが新町通りですので、「下長者町通り新町西入」というとこのあたりになってしまい、正面受付にはたどり着けません。正面受付は「新町通り下立売上ル」でないとたどり着けないという記事でした。現に京都府庁の住所は「下立売通り新町西入ル」になっています。同じ敷地の中にあるこの3号館は同じ建物なのに1階から3階に入っている文化庁は「下長者町通り新町西入ル」、4階から6階に入っている京都府教育委員会は「下立売通り新町西入ル」となっていて、おかしいということも書かれていました。
私もおかしいと思い、文化庁の職員に調べてもらって分かったのは、この京都府庁の敷地の登記簿上の地番はこれが正しいんだそうです。正しいのは文化庁の方だと。京都府は登記簿上の地番とは違う住所を使っているが、それは訪ねてくる人にとってその方が分かりやすいからという理由でそれを使っていると。でも、京都府庁が分かりやすい方を使っているのなら、文化庁もそうすべきではないかと言ったのですが、「これは住居表示に関する法律というのがあって、市町村が別の定めをしない限りは登記簿上の地番を使うと法律上規定されているんです」ということでした。国の役所なので法律の原則に沿ってやっているということです。京都の住所は住居表示に関する法律の通りやると非常に不便だということが分かりました。現に京都大学の住所も、京都市左京区吉田本町としか言っていないと思います。「東大路通り東一条東入ル」とか言わないことにしているのだと思います。京都大学のように、「京都市上京区藪之内町」だけにすれば良かったんじゃないかと私は本当は思っているのですが、「今更変えられない」ということで、この住所でやっております。

文化庁の組織はどのようになっているかということです。都倉長官が今第23代文化庁長官ですが、そのもとに次長が2人おり、京都に1人、東京に1人おります。京都担当が私でございます。京都に6課、東京に7課あります。課の数としては東京の方が多いのですが、京都の方が一つの課の人数が多く、全体の2/3の職員が京都に、1/3の職員が東京におります。
先ほど文化庁の組織を拡充したと申し上げましたが、文化観光、コンテンツ振興、食文化など、旧来の文化庁よりも組織の拡充をしております。この審議官のうち1人は経済産業省から来ていますし、この文化経済・国際課長も経済産業省から出向できています。食文化を担当している参事官には農水省から、文化観光を担当している参事官には国交省から、他にも国税庁とか外務省とか色々な役所から来ており、京都の方にも国交省から来ている職員や外務省から来ている職員がおります。非常に職務範囲を広げているのが現在の文化庁です。

特に京都に移転した新生文化庁では、食文化と文化観光を、新しい文化行政を京都から発信するための施策として推進しております。京都は改めて申し上げるまでもない文化都市でもあり、観光都市でもありますが、食文化についても、かつては文化財になることがなかったような伝統的酒造り、京料理、手揉み製茶、和菓子(菓銘をもつ生菓子)、これらを作る技を、この数年の間に登録無形文化財に登録しております。農水省と一緒にこの食文化を今推しており、食文化推進本部を作って、ここには農水省や近畿農政局なども入っていただいて取り組んでおります。文化観光推進本部の方には観光庁からも入っていただいて、文化財を活用した文化観光を積極的に進めております。

「文化の力で関西・日本を元気に」という、これは河合隼雄先生が文化庁長官だった時からのスローガンを継承して、文化庁は今、関西広域連合、関西経済連合会と共に連携プラットフォームを作り、観光と文化芸術、産業と文化芸術、暮らしと文化芸術、街づくりと文化芸術について、積極的に連携して取り組んでいます。

その取り組みの一つとして、文化庁と京都府と京都市の若手職員で、色々な活動を今やっております。祇園祭への参加、漆の産地の訪問、京都マラソンへの参加、食文化ワークショップなど、色々なことを文化庁の若手職員が京都府や京都市の職員と一緒に取り組んでいます。文化庁が東京にある時、東京都千代田区に文化庁があるからといって、千代田区の職員と、あるいは東京都の職員と何か一緒にワークショップをやるということは無かったと思います。京都に来てから非常に職員同士のこうした活動が活発になっています。
東京にいると、家が遠く、通勤に1時間以上かかる職員が多いです。往復で2時間以上通勤に時間を取られますが、京都に来ると、特に若手職員は庁舎の近くでワンルームマンションを借りていて、通勤時間が非常に短い。若い職員の中には、近いと10分ぐらいのところから徒歩あるいは自転車で通勤している職員がいます。東京にいる時に比べて2時間自分の時間が多く作れるのは、職員にとってはワークライフバランス上非常に良く、こうした活動ができるのもそのおかげではないかと思います。
これに加え、文化庁が京都に来てから、昔だったら東京でやっていた大型の主催行事をどんどん京都でやるようになっています。例えば、毎年秋に行う芸術祭オープニングは、戦後毎年東京で新国立劇場とか国立劇場を使ってやっていましたが、昨年初めて京都で行いました。秋篠宮さまご夫妻も京都にお越しいただき、ロームシアターで行いました。それから戦後、文化財保護法ができて、最初の国宝・重要文化財(美術工芸品)を指定したのが昭和26年(1951年)ですが、その年に指定した国宝・重要文化財の新指定展は、それ以来ずっと東京国立博物館で81回連続してやっていましたが、これも昨年、82回目にして初めて東京を離れ、京都文化博物館で開催いたしました。その他にも、昨年は日中韓文化大臣会合も、京都の国際会館でやりました。日本遺産の10周年の式典も京都の二条城でやりました。このように、色々なことを京都でやるということに積極的に取り組んでおります。
京都移転の色々な成果はありますが、課題もあります。色々と一生懸命京都でやっており、京都府や京都市の皆さんからは歓迎されていると思うのですが、その割には認知度が上がっていないというか、あまり知られていない。一つ、最近気づいたことがあります。色々なことをこれまで東京の文科省の記者クラブで記者発表をしていました。その記者発表を今、京都でやるものも出てくるようになったのですが、京都で記者発表すると関西ローカルの扱いにされ、全国紙には報道されないということがあります。これはマスコミの問題とも言えますが、東京で記者発表しないと全国扱いされないことが、京都に来てみて分かりました。
それから、他にも、最大の課題は、やはり東京に行ったり来たりせざるを得ないということです。オンラインでできることはオンラインでやりますが、オンラインでできないことも意外とあるものです。私などは結構行ったり来たりしており、東京と京都両方で家を借りていますが、先週で言うと月曜から水曜までは京都にいましたが、木曜の午後は議員への説明が必要な案件が2件あったり、東京で出なければならない行事や会議があって、木曜金曜は東京におりました。週によっては東京が3日になったり、あるいは週の間に往復を2回したりということも起こり、ここがなかなかやりづらいところだと感じております。
今年の3月に、京都に移転してきて丸2年になり、3月27日、2周年を記念して、午前中は京都の小学生を京都庁舎に招き、文化庁を見学してもらったり、ちょうど文化審議会でローマ字の審議をしていました。ローマ字を今まで訓令式だったのを今度ヘボン式に切り替える審議を今文化審議会の国語文科会で行っております。ローマ字は小学生にとって国語の時間に学ぶ内容なので、どのような審議をしているかを見学していただきました。午後は京都庁舎に、大学で文化財などを専攻している学生さんに来ていただき、文化財の修理保存のための原材料などのイベントがあったので、それに大学生の方に一緒に参画していただいてワークショップをするということをやりました。より地域とか現場に軸足を置いた、東京にいた時にはやらなかったような取り組みをやるようになっています。
中央省庁の仕事は結局全国が対象なので、どこにあっても仕事の内容は本質的には変わらないのではないかと言われることもあります。それはある一面ではそうではありますが、しかし仕事に対する構え、職員の意識というのは東京にいた時とは変わってきていると私は感じています。いきなり劇的な変化が起こるわけではないかもしれませんが、少しずつじわじわと、日々の生活の仕方などが変わることによって、仕事への構えも徐々に変わってきている、そんな感じがしています。
文化行政の現状

そういうふうに変わってきた文化行政の現状の姿がどのようになっているかという話に移っていければと思います。前半の中で、文化庁が京都に移転するのを機に組織の拡充を図ったと申し上げました。文化観光、食文化、コンテンツ振興、産業との連携、こういったことに今、重視して取り組んでおります。
今日は2つ取り上げたいと思います。
1つがコンテンツ振興ということであります。漫画、アニメ、ゲーム、映画、アートなどの日本のコンテンツが、今世界で強みを増してきていて、基幹産業になりつつあります。経済産業省との連携を強化しており、都倉長官も元々音楽産業の分野の方であります。CBX(Cultural Business Transformation)という方針を掲げて、文化芸術と経済の好循環を生み出していこうということを柱の一つに据えています。
もう1つが、文化観光であります。インバウンドが非常に増えています。文化財を活用した文化観光を推進しています。

日本のコンテンツ産業の輸出規模は、昨年5.8兆円に達しており、日本最大の輸出産業である自動車に次ぐ規模で、すでに半導体や鉄鋼を追い抜いています。文化庁は令和5年(2023年)に補正予算でクリエイター育成基金を設け、漫画、アニメ、ゲームなどのクリエイターなどを育成するための支援事業に乗り出しています。この基金は昨年の補正予算でさらに増額しており、令和5年に60億、令和6年に120億と積み増しをしております。これは一面では産業政策ですが、一面では文化振興であり、また人材育成であるということで、経済産業省と連携してコンテンツ振興に力を入れています。
この分野のクリエイターは、日本のコンテンツの人気の高まりに伴い、人手不足に陥っています。大学や専門学校、あるいは高校などで、どのように人材育成していくかということが、大きな課題になっています。

コンテンツの輸出規模は今、基幹産業だと申し上げましたが、実際のキャラクター、どういうものがそれに貢献しているかというのはここに記載の通りです。これまでの累積で、ゲームやアニメの売上そのものに加えて、関連するグッズやイベントなどの関連商品も含むものですが、ポケモンを筆頭に、世界の10位の中に5つの日本のコンテンツ、キャラクターが入るというぐらいものすごい勢いになっています。

日本発のコンテンツとして、漫画、アニメ、ゲームが今先頭をいっているわけですが、それ以外にも、映画、音楽、アート、舞台芸術、演劇、それから伝統芸能、これらも日本が強みを持つコンテンツであります。
スマホやSNSの長時間利用とは異なり、国際学力調査(PISA調査)によると、日本とか韓国とかフランスとかフィンランドなど、漫画をよく読む国においては、漫画を読む生徒の方が読解力が高いという、因果関係があるかはわかりませんが相関関係があることがわかっています。日本もそうですが、アメリカとか韓国とかオーストラリアでは学校図書館にも今漫画が置かれるようになっています。
これだけ豊富な日本のソフトパワーコンテンツは、元々日本の歴史、伝統の中にずっと息づいてきたものだと思います。今NHKの大河ドラマでやっている蔦屋重三郎は江戸時代のコンテンツ産業のまさしく先駆者だったと思います。元々日本は、土偶や埴輪を作っていた時代から、非常に芸術性の高い芸術作品を作っていた国だったと思います。先日私は奈良県明日香村の、明日香資料館というところに行ってきましたが、そこに、2人の人間が抱き合っているような石像物があって、それを飛鳥時代に日本人は作っていたのです。それを「草間彌生さんの作品だ」と言っても信用してしまうぐらいすごい芸術作品に見えました。日本人のDNAにはそういう芸術水準の高さがあるのではないかと思います。
ですので、文化財を大事にすることとコンテンツ産業を振興することは、ずっと繋がってきている話であり、これは単なる産業政策ではなくて文化政策だと考えています。

5月22日に「MUSIC AWARDS JAPAN」という日本初の国際音楽賞の第1回が京都で開催されました。NHKで3時間生放送されましたので、ご覧になった方もいるかもしれません。元々日本の音楽業界には、日本レコード協会とか音楽事業者協会など、5つの業界団体があったのですが、この5つの団体は元々お互いあまり仲良くなかったそうです。しかし、J-POPは一時期K-POPに先を越されて、世界進出で出遅れました。韓国はコンテンツ振興院というのを作って国を挙げてコンテンツ振興をしております。K-POPが全世界であれだけ人気を博しているのは国の政策によるところも大きいと言われています。
都倉長官は「これではいけない」ということで、この5団体がまとまることを提唱し、CEIPA (Culture & Entertainment Industry Promotion Association:カルチャー アンド エンタテインメント 産業振興会)という団体が作られました。

そしてCEIPAが「MUSIC AWARDS JAPAN」を初めて開催いたしました。J-POPも、例えばYOASOBIの「アイドル」であるとか、Creepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」とか、ストリーミングが主流になってきたので、ネット上で音楽配信できるようになると海外で大ヒットする現象が起こりました。この時期を見て「MUSIC AWARDS JAPAN」という素晴らしいイベントを成功させました。
日本では元々レコード大賞がありますが、「MUSIC AWARDS JAPAN」は、純粋に音楽人5000人が投票し、透明性の高い方法で選んだということです。そしてCreepy Nutsとか藤井風さんとかMrs. GREEN APPLEとかYOASOBIが今回の最初の受賞者になりました。都倉長官の主唱により、しかもこれがロームシアターで開催された背景として、文化庁が京都に来たことが大きかったと思います。

今これをアートにも広げていこうとしています。「MUSIC AWARDS JAPAN」が非常に成功を収めたので、演劇とか、バレエとかファッションとか、他の業界も「音楽に続け」と今活発になってきています。アートについても都倉長官のイニシアティブで、「MUSIC LOVES ART」という事業を立ち上げており、音楽とアートを組み合わせたイベントを毎年行っています。元々は千葉の幕張でやっていましたが、文化庁が京都に来たのを機に、昨年から大阪の万博公園でもやっています。これも関経連を始め、一緒に盛り上げています。元々アメリカのテキサス州オースティンに「サウス・バイ・サウスウェスト」というイベントがあって、この大阪での「MUSIC LOVES ART」を日本版のサウス・バイ・サウスウェストにしようということで、進めています。


日本のアート市場は、他のコンテンツに比べると出遅れており、日本ではなかなかアートフェアで絵画とか美術工芸品を売買する、そういう市場ができていません。ここもこれから日本の伸びしろになるのではないかということで、文化庁では「Art Week 東京」を積極的に支援しています。これは、東京都内の色々な美術館とかギャラリーとかアートスペースを専用バスで繋いで、これを回っていくことによって全体として東京を一つのアートフェアにする。例えばヨーロッパにあるような、非常に大きな売上を達成している他のアートフェアに追いついていけるようなアートフェアを東京に作ろうということです。京都にも「アートコラボレーション京都」が京都府を中心に立ち上げられていて、この「Art Week 東京」と連携させるということもこれから考えていこうとしています。
その他、もう一つ今力を入れようとしているのが、文字・活字・翻訳という分野です。日本の小説の英訳はイギリスなどでものすごくヒットして売れています。日本人の文化力の高さは小説でもものすごく発揮されているということです。この市場には非常にまたポテンシャルがあるということで、翻訳事業も文化庁は支援し、この市場も世界で増やしていけないかということに取り組もうとしています。
日本の非常に強みのある漫画・アニメが先頭を切ったわけですが、他の分野も後に続いていけるようにというのが、今文化庁が取り組んでいるコンテンツ振興というCBXの大きな柱の一つです。

2つ目の柱が、文化観光です。京都に来るともうオーバーツーリズムで外国人の方はものすごく多いですし、地方都市に行ってもかなり外国人の方が多いです。
日本への外国人訪日客は、2003年頃は500万人ぐらいで、そんなに多くありませんでしたが、政府が「Visit Japan」という事業を開始し、2010年代に入ってからどんどん増えるようになり、2019年には3000万人を超えていました。コロナのために減ってしまいましたが、2024年は3600万人を超えています。日本人の出国はまだコロナ前に戻っていませんが、外国人のインバウンドの方はコロナ前を上回っています。政府では、インバウンド3600万人を2030年に6000万人にしようという目標を掲げています。日本全体としてはまだまだポテンシャルがあるということになります。
しかも、外国から来る方の1人当たり消費額は2024年で22万円を超えており、訪日客の消費額は8兆円を超えています。政府ではこれを2030年に15兆円にすることを目標に掲げています。

外国人が日本に観光で来て日本で消費していくお金は、統計上は輸出にカウントされ、先ほどのコンテンツよりも実は大きく、すでに8.1兆円になっています。
日本に来られる方の6割から7割は「日本の文化に触れたい、日本の歴史に触れたい」というのが日本に来る理由だと、観光庁の調査で分かっており、日本の文化資源に対する期待には大きいものがあります。

文化庁では観光庁とも連携し、「文化財を活用した文化観光の推進による地方創生パッケージ」を昨年の2月に作っております。文化庁は昭和43年(1968年)にできましたが、その前身は文化財保護委員会だったという経緯もあって、文化財の保存偏重で、修理したらオープンにしない方が保存がきちっとできるという考え方が強かったのです。しかし、国民の皆さんの税金を使って文化財を保存修理し、しまっておくだけで良いのかということで、平成30年(2018年)に文化財保護法が改正され、保存と活用の両立を図る方針に転換いたしました。
今では、文化財を活用し、例えばイベントの会場にする、宿泊施設に改修する、飲食施設に改修する、あるいはお手洗いを外国人が使いやすいように洋式にするなどの改修に対しても補助をするようにしています。それからできる限り多言語解説をつけるということにも補助をするようにしています。
例えば二条城などもユニークヴェニューとして活用したり、夜間開館したり、プロジェクションマッピングをしたりして、積極的に活用しています。愛媛県の大洲城は、城に泊まれる改修をして1泊100万円で売り出したら、外国人の方に売れているということです。もちろん保存しないと活用できませんので、保存修理が前提でありますが、積極的な活用を今進めております。

日本遺産10周年も、神楽や柳川三味線の公演も合わせて、二条城二の丸御殿の台所で開催しました。ちょうど2月だったため、二条城は暖房が入っておらず、ものすごく寒かったのですが、このようなイベントを文化財の中で行うことを文化庁自身が進めております。

今ちょうど大阪・関西万博が開催中ですが、この万博会場内でも文化庁はいくつかのイベントを主催しており、食文化、建築文化について、展覧会や実演会をやっております。それ以外にも、今後、沖縄の組踊、大阪の文楽、アイヌ文化、障害者芸術、能楽などを万博会場でやることになっています。我々はこれを日本博2.0と呼んで支援しています。

さらにこの機会に、万博会場に来るだけでなく、一緒に日本の地方にも回ってもらおうということで、この日本博2.0を全国各地で展開し、全国各地で展覧会とか公演とか地方の様々な芸術祭などを支援しています。こうした取り組みを積極的に進めることによって、文化資源を活用した文化観光を進める、これもCBXのもう一つの大きな柱として進めているところです。
文化予算の状況

ただし最後に、文化芸術は経済との好循環だけでは成り立たないということがあります。やはり経済的には割に合わない分野が文化芸術の分野には必ずあって、公費によって支えないといけない部分が絶対にあるということです。

そのためには文化庁の予算が非常に重要になってくるのですが、今年度の文化庁の当初予算は1000億ちょっとです。その前の年から比べると1億しか伸びていません。
ただしこのほかに、出国税というのがあります。国際観光旅客税が正式名称で、空港から海外に出国する時に1人1000円チケット代に上乗せされている税があります。この税は、国土交通省とか法務省とか色々なところが使っていますが、文化庁にも約2割ぐらいが配分されていて、文化資源の磨き上げのために使えることになっています。これはインバウンドが増えることによって伸びてきており、今年度84億円が文化庁に配分されています。
さらに、今、我々にとっては、補正予算でしっかり予算を確保することが重要な課題です。当初予算を伸ばすのはシーリングがあってなかなか厳しいのですが、昨年度補正予算では569億円を確保しました。その前の年が303億円でした。ですので今年度我々が使っているお金は出国税、補正予算もあわせると1700億円ぐらいであり、前の年から比べると約270億円伸びました。これだけ伸ばすのでも必死な思いですが、一生懸命伸ばしているところです。
私は京都大学の理事を経験しましたが、私がいた頃、京都大学の総事業規模は1600億円ぐらいでした。ですので、京都大学という一つの大学だけで日本全体の文化予算と同じぐらいということです。京都大学は国立大学運営費交付金として来ているお金は550億ぐらいだと思いますが、それは文化庁の当初予算の半分以上に相当します。

これは文科省予算全体の円グラフにするとよりはっきりするのですが、昨年度の文部科学省の総予算は5.3兆円ぐらいですが、文化庁の予算が1000億ちょっとで、文科省全体の約2%ということです。この円グラフの大きいのは義務教育費国庫負担金(小中学校の先生の給与費)と、高校無償化のための予算、国立大学運営費交付金(1.07兆円)です。文科省予算の3/4ぐらいは教育予算で、残りの1/4の中に科学技術予算があり、この非常に細くなったところにスポーツ庁の予算と文化庁の予算があります。国立大学の先生方には「国立大学の予算が少なすぎる」と思っておられる方が多いと思いますが、文化予算に比べるとこんなに多いということです。

文化庁の1060億円ぐらいの中をさらに分けるとこのようになっており、この右下のところ、これが文化財の保存修理のための予算です。これは国宝・重要文化財のような建造物、史跡、名勝天然記念物、無形文化財、民俗文化財、全て合わせて全体の4割ぐらいになります。それから左側に国立文化施設の関係予算があり、これが約3割です。これは国立の博物館、美術館、劇場など、全国20以上の施設で、京都にも京都国立博物館、京都国立近代美術館がありますし、大阪には国立国際美術館や国立文楽劇場があります。そういうものを運営するお金が3割ぐらいです。残り2割の右上の部分は、様々な文化芸術団体の公演に対する支援とか、子供たちが文化芸術を体験鑑賞するための学校巡回公演とか障害者芸術とか、そういったものを支援している予算です。

世界と比較すると、我が国の文化予算はフランスや韓国に比べると桁が違うぐらい少ないです。予算額で見ても、政府予算に占める割合で見ても、国民1人当たりの額で見ても、日本は非常に少ない。とにかく主要国の中ではフランス・韓国が非常に多いです。その次に中くらいなのがドイツとかイギリスで、少ないのが日本とアメリカです。

文化芸術をどういう役所が所管しているかを見た時に、イギリス、ドイツ、フランス、韓国といった国と比較すると分かるのですが、文化と一緒に教育や科学技術まで所管している国は主要国にはないということです。文化と一緒に所管しているのは、スポーツだったり観光だったりメディアだったりします。このことには意外と影響があるように思います。文化を担当している大臣は日本では文部科学大臣ですが、日本の文部科学大臣にとっては、予算の3/4を占める教育がまず大事です。しかし他の国では、これを担当している省の大臣にとって一番大事なのは文化芸術だと思います。文化芸術が一番大事だと思っている大臣がいる国かいない国か、この差はあるような気がいたします。

どうやって文化庁の予算を増やすかですが、補正予算で頑張る、これが一つあります。クリエイター育成基金を作ることができたのも補正予算でした。もう一つは国際観光旅客税があります。国際観光旅客税は今年度84億円来ています。先ほど万博でご紹介した日本博事業とか、あるいは文化財を活用した文化観光の事業というのはこの国際観光旅客税を財源に当てています。インバウンドが6000万人に増えたら、更に増えることになります。

自治体も頑張っておられて、例えば、京都市は宿泊税を今度引き上げることにされています。京都市内でホテルに泊まるとチェックインする時にホテル代とは別に200円支払っていますが、それが400円になり、部屋代が高いところは4000円とか1万円とかになるということです。松井市長はそれを京都市の文化予算に当てるとおっしゃっておられます。
博物館、美術館は20以上、文化庁所管の独立行政法人が運営しています。このうち皇居三の丸尚蔵館は、国際観光旅客税で建設中であり、今半分完成しており、残り半分を工事中です。国際観光旅客税を財源に当てることによって、日本で5番目の国立博物館を新設することができました。
時間になりましたので、大学の地方創生の話は省略します。

最後に少し宣伝です。文化庁では「文化財サポーターズ」というのを博報堂とREADYFORと一緒に立ち上げております。文化財の保存修理には国から補助金が出ますが、補助率は50%から85%の間であり、少なくとも15%は自己負担があります。その15%の中の何割かを補助してくれる自治体もあります。それでも自己負担がどうしても残るのが今の文化財の保存修理の仕組みです。そこの自己負担をできる限り軽くするために寄付を集める事業をやっており、「文化財サポーターズ」を立ち上げています。京都大学教育学部同窓会にもご寄付をいただきたいと思いますが、さらに余裕のある方は「文化財サポーターズ」にもよろしくお願いしたいと思います。
私、実は昨年、このような『学校文化の源流を探る』(海象社)という本を出しまして、この本の印税を「文化財サポーターズ」に寄付することにしておりますので、この本を買っていただくということでも結構でございます。雑駁な話で大変失礼いたしました。ご清聴ありがとうございました。
質疑応答
森田先生、ご講演ありがとうございました。ほぼほぼ16時ではありますが、何か質問があれば、せっかくの機会ですので是非と思いますが、いかがでしょうか。
質問者1:貴重なお話ありがとうございました。教育学研究科の西岡と申します。最後に時間がなくて省かれてしまったのですが、地域の高等教育へのアクセス確保を図るための仕組みというのに非常に興味が惹かれまして、できればちょっと一言二言ご説明いただければと思います。
森田:私も文化庁の前、高等教育局の審議官などをしておりました。地方の高等教育機会の確保は今地方創生の中で非常に重要な課題です。特に学生が東京とか京都とか都市部にどんどん進学してきて、地方の私立大学などの経営が厳しくなっています。このままだと地方の私立大学は経営が立ちゆかなくなり、そのうち地方での高等教育の進学機会が確保できなくなる可能性がある、これは非常に厳しい課題であるということです。

今、文科省が進めているのは、「地域構想推進プラットフォーム」、それから「地域研究教育連携推進機構」です。複数の大学と様々なセクターが一緒になって、大学の教育資源を共有し合い、それによって地方に、一種のネットワークによる総合大学を実現できないかと。連携によって、地方の小さな単科大学がそれぞれ別々に経営して、地方に高等教育機会がなくなることを防ぐためです。今の学生さんは総合大学志向が強いと思います。
そうしたネットワークにより、地方における高等教育の機会の確保を維持し続けることはできないかということが、この間の中教審の高等教育の答申でも提言されています。もう一つ、京都大学のような研究大学は、もう少し大学院にシフトして、学部入学定員を今ほど大きくなくても良いのではないかということもこの答申の中では書かれています。それは他の大学でもっと学部の学生を確保できるようにすることにもつながると思います。
質問者1:ありがとうございました。
質問者2:ありがとうございました。私は大阪に住んでまして、大阪と京都を行ったり来たりするのがほとんどの生活の移動範囲ですが、今聞いていて、大阪にいても京都にいてもコロナが終わってすごく街に活気が出たなと。インバウンドの方々がたくさん訪れてくれて、ずっとお聞きしていると、その国際観光旅客税に目を付けて、その振興を図っていただいているというのが、なかなかその応援団が少ない中で大変な努力、知恵を出して力を尽くしていただいていると思います。その努力に本当に敬意を表したいと思うと同時に、一つだけお伺いしたいのは、その学術文化ですとか学問とかに対して「国の補助金に頼っている」「甘えている」というような批判、意見を述べられることが、政治家の方々からも多々ありますよね。大阪なんかでも補助金を全部削るというようなことをなさった知事とかもおられましたけれど、そのような、文化や芸術、あるいは学問に対しての厳しい姿勢に対して、文化庁さんはどのようなことを考えて、何らかの対抗をしていこうと考えておられるのか。そのあたり、私は大変憤りを感じながらそうした意見に対していつも感じているわけですが、どのような方向で指導されているというか、方向性で何か考えて取り組んでもらえることなどあればお伺いして参考にしたいです。

森田:ありがとうございます。おっしゃる通りで、予算を増やしたいわけですが、やはり応援団がいないといけない。特に国会議員の先生方というのは、この予算を増やす上では非常に重要な役割を果たされますので、国会の先生方に応援してもらうということは極めて重要なことです。文化に関しては、元々少ないということもあって、この2年間文化庁にいて、国会の先生方によく応援していただいています。コンテンツとか文化観光が今基幹産業になりつつありますので、文化資源は注目されていると思います。
それに比べると、大学の教育予算とか学術予算というのは、あまり応援してもらえていないのではないかと思われるかもしれません。これは何でだろうと。いくつか要素があるのですが、国会議員の先生方は、ご自身を振り返ってみて、小中学校の時にすごくお世話になった先生がいるとか、担任の先生に良くしてもらったという経験のある人は初中教育を応援していただけます。そして、残念ながら、大学にすごく良くしてもらったと思っている人があまり多くないのではないでしょうか。大学時代は授業もあまり出なかったし、友達と遊んでいただけで「大学に何かしてもらった」という覚えがないという人が多いとすると、これが大学の不利な点になってくるのではないかと思います。
最初に、私の指導教官だった高木先生が90歳を超えて今でも集まるということを申し上げました。京大で言えば、法学部と経済学部以外の8学部は、皆さん3回生か4回生になると研究室に所属して指導教官について少人数指導を受けて卒論を書いて色々指導されて、卒業後も研究室と繋がりを持っているという人はまあまあいると思います。小中学校の時は40人学級とかだったので、それより小さい研究室もありますから、大学の方が少人数指導だったという人もいると思います。
研究室に所属しない、卒論も必修ではない、ゼミも必修でないという場合、指導教官がいないということになります。そして、そういう人が役所とか国会とか財界とかで偉くなると、影響力のある人が応援してくれない、ということが起こるのではないかと考えています。
なので、学部入学定員をもう少し減らして、厳しくなくてもいいのですが、みんな研究室に所属して少人数で卒論指導を受けるというのを、もっとやった方がいいのではないかと。
私の時より18歳人口は減っているのに学部学生定員が増えているわけです。小中学校が35人学級とかスクールカウンセラーの配置とか充実してきているのは、子どもが減っているので、この義務教育費国庫負担金(小中学校の先生の給与費)も減るのですが、減り方を抑えることによって子どもの数に対して充実が図れるわけです。大学も、同じ手法をもし取って大学院にシフトできれば、充実できる可能性はあるというのが、私の個人的意見です。